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やぎさんゆうびん 第9号

12.20/1995

ラベンダー

 エッセンシャルオイルを作る機械は、今ここにあるのはコンパクトな家庭用ですが、とてもすぐれものです。掌をすぼめたぐらいの大きさのステンレスの容器に抽出する材料を入れ、原料がドライハーブであるようなときは少しの水を足し、別の容器に冷却用の水を2lほど入れ、スイッチONすると、電気で材料が熱せられて成分が蒸発し、それが冷却水で冷やされ、まごうかたなき本物のエッセンシャルオイルがしたたり落ちてくるのです。規模がごく小さいので、一回でできる量は30分ほどかけて30ccぐらいのわずかなものですが。

 何でもやりたがる風ちゃんが、購入してからまだ一度も使っていないこの機械を見つけてきてやりたがり、レイちゃんをうまく引き込んで外へ材料を探しに行き、取ってきた材料は、風が杉の葉っぱ、レイはレモンバームであったので、知らない人には少しもおもしろくないでしょうが、二人にとても似つかわしくておかしく、しかしそれを言うと風ちゃんが傷つくので黙って笑っていました。せめて檜の葉ならばね。年とともに手慣れぬことを手がけるのがすっかり億劫になってしまい、子供たちがこのように動かなければいつまでも何もおこりません。

 杉を最初に試みたたのですが、それでもなかなか爽やかな香りがし、初めてのことでもあるので皆で大騒ぎをいたしました。もうひとつのレモンバームは、意に反してフレッシュな葉よりも香りが薄れるようです。その次に、レモングラスは寒さに弱いので根を掘り起こして越冬させるのですが、すすきにそっくりな葉が使われないまま残っているのでそれを少しはさみで切ってやってみると、レモンバームよりはるかに強い香りが抽出されました。この次には、ベイリーフ、レモンユーカリの剪定枝、霜がおりると葉っぱが溶けてしまうのでその前にローズゼラニウムなんかで試してみましょう。木犀の花はもう終わってしまいました。それからパセリ、セージ、ローズマリー、タイム...

 さて、ラベンダーは2年目ですっかり大株になり、一株に百本以上の花がつくので、シーズン終わりに乱雑に刈った花穂が山のようにあります。近くの飯田高原のラベンダー園のショップで目の飛び出るような値段がつけられているので、これは宝の山です。と言って笑っております。ばらばらと落ちる花を集めてとても良質のエッセンシャルオイルがとれました。この香りは神経を休めてくれます。と言っても、ここでの暮らしで今ではもうすっかりストレスが無くなってしまい、唯一のストレスがものを書くときであるので、今こうして書きながらかいでいます。適当な容器が入手できればいつの日かお送りいたしますね。

 ここからコマーシャル。ギフト用パッケージを用意いたしますので、来年の初夏に生花をご利用くださいね。お送り先に直送もいたします。この夏、町の人たちに100本500円で取りにきてもらったら、少しは好評だったようです。しかし、単位が本数であると皆さん律義に数えるのです。来年は重さでいくら、という方がいいね、と話しています。

グリーンハウス

 ものすごい速さで時が過ぎていきます。一日は午前の農作業、午後の農作業で組み立てられているのですが、それがあっと言う間に終わります。朝、小学生二人と高校生を車に乗せ、小学生はスクールバスの来る途中の2kmのところで降ろし、悠は近頃はすっかり自転車で通学しなくなったのでJRの駅まで送って行き、夕方、レイちゃんの帰りはもっと早いのですが、遊ぶことの大好きな風は荻町スポーツ少年団で日没まで野球をやり、悠は5時か7時の列車で帰って来るので、できるだけ二人をまとめて迎えに行き、それで一日が終わります。一週間もまた瞬くうちに過ぎ去るのですが、これは、毎週火曜に生協へ申し込んだ品物を取りに行くこととか、レイちゃんのピアノが土曜にあるので町まで連れて行くこと、で気づかされます。第二土曜、第四土曜の学校の休みが繰り返されて、一ヵ月が終わります。

 季節も夏の暑さからいつの間にか秋が終わり、もう冬です。今年は12月から早くも本格的な冬で、秋の余韻を楽しむゆとりもないほどでした。この地では10月終わりに最初の霜が降り、11月半ばを過ぎると晴れた朝はあたり一面が真っ白になります。畑の豆はそのころに収穫するので、そのあとに牧草の種をまくのがどうしても遅れ気味になってしまいます。

 イタリアンライグラスの種子をまく手順。豆類の根は有効な有機物になるような気がするので、収穫のとき引っこ抜かず、根ぎわから切って、根は残す。枝葉とともにトラクターで耕転。軽くて細かな種を風の弱いときにできるだけ薄くまく。そのあとまたごく軽く耕転し、それからトラクターで踏んづけてまわるのです。春ならすぐに芽が出て、どの草よりも美しい色合いのあの緑に覆われるのですが、寒さに向かうこの時期はなかなかそうならず、どこからかとんでくる落ち葉が積もります。今年は11月24日の初雪が舞うなかでのトラクター作業となりました。

 グリーンハウスは去年の冬に暖かさを夢見て計画が具体化し、暖かくなってから完成したので、夏のあいだ手がつけられませんでした。家の南側のデッキを一部取り外し、杉の柱を立て梁を渡し、太陽の光をもっともよく透す特殊なフィルムを張り、家からも直接出入りできる構造としたので、主屋まで日中の温度があがったようです。涼しくなってからようやく内部の作業にとりかかり、それまで場当たり的に置いてあった鉢や道具を片づけ、作業場所を作り、簡単にガーデンをアレンジして真冬にも緑が楽しめ、花の咲く草花を植えつけました。広さは 坪ぐらいの快適なスペースです。夏は除いてですが。それから雨樋の一本が直接ハウス内に落ちているので、大雨のときは水浸しになってしまうので何とかしないといけません。秋から冬、それから春先にかけての種まき、育苗は温度と水に気をつかうしんどい作業であるので、環境がよくなると能率がぐんとあがります。

 グリーンハウスのフィルムの外側は真っ白に凍りつきます。露地のたまねぎ畑は、稲わらだと窒素を収奪して春からの育ちが悪いようなので、今年はラブシートという商品名の防寒シートをべたがけしています。春になってからの移植も試してみようと、同じくらいの量の苗を苗箱のままグリーンハウスに置いてあります。その緑がまたきれいなのです。

鉱物採集

 悠くんは近ごろ鉱物に熱中しているのす。ぼく今度の試験で一番とるよ、とさらりと言ってのけ、結果はどうであったかまだ知りませんが、その試験が終わった後でもあるし、とよく晴れて気持ちのいい日曜日の朝にみんなで水晶狩りに出かけました。

 弁当作りは母親のお手のものです。家から一番近くの温泉が隣の高森町に車で25分のところにでき(高森の北、つまり荻町の北西があの波野村です。ついでに近辺の様子ですが、北に見える九重山の向こう側からは前から硫黄の白い煙が上っていたものでした)、そこに出かけるときもいつも弁当を持って行きます。ちらし寿司とおかずのお重を包み、保冷バッグにジュース(子供たちのために)、昨日の残りのワイン、缶ビール(途中に温泉があるかもしれないので)を入れ、これも子供たちのために紅茶をポットにつめ出発です。ハンマーとたがね、それから見知らぬ道を行くので地図も忘れてはなりません。

 この日行ったのは、荻町の南、祖母山と傾山のあいだに宮崎県の高千穂へと続く峠があり、そこに尾平という廃坑があって、初心者には近くて本格的な、うってつけの場所です。この尾平鉱山のことは部落の人が教えてくれたのですが、錫、亜鉛を産出していたようで、廃液がここでもまた公害になったのだそうです。しかし宮崎県側に流れていたのでしょう?とうかつなことをきいたのですが、鉱山は峠のこちら側で、大分県側に流れたのでした。

 さてさて、車は竹田市から緒方町へと見知った道から南へ分かれて、整備はされているけど細い山道をくねくねとゆっくり走ります。対向車はまずありません。途中楯看板があり、尾平トンネル工事中通行止め迂回路なし、とあるのです。目的地がトンネルの手前か向こうか不明でしたが、宮崎県側に抜けて温泉に入る夢は潰えました。ところで、8年間乗っていた車をついに買い換えました。できの悪い、しかし本物を求めているハイスクールの主人公が何度目かの退学となり、クリスマスに家に帰って来るという、あの著名な小説を懐かしく思い出します。家に帰って来たのではなく実は家に忍び込んだのであり、まだ小さな妹とわずかな会話を交わすのは、忘れられませんものね。まだ退学させられたのだとは気づいていないフィービーという名のその妹は、話の途中で車のことに連想がおよぶと唐突にこう叫ぶのです、「うちの車にね、ラジオがついたわよ」... うちの車にね、CDがついたのです。まるで悠くんとレイちゃんのようです。

 少しはCDのおかげで、途中二回休憩しましたが、山道にもさほどの車酔いをせず、工事中のトンネルに辿りついてしまいました。では、廃坑はトンネルの向こう側であったのでしょうか。トンネルの入口は地形的に見て当然北側であるので寒く、少し戻って山のかげにあたらないわずかな平坦地に車を停め、遅めの昼食になりました。ところがところが、そこに車を停めたのがとんでもない幸運だったのでした。廃坑は山の向こう側であったのか、とがっかりしていた悠くん、ところがそのあたりの石に鉱石っぽい石がごろごろ混じっていたのです。割ると断面がきらきらと輝くのです。なかには水晶の小さな結晶に見えるものも見つかりました。子供たちは(母親も夢中になって)石を漁り、その間父親は日だまりでのんびり食事ができる、という理想的な状況となりました。風もほとんど無い穏やかな日でありました。

 山を下る途中、何回か車を停めて見てみましたが、もう目ぼしいものは何も見つかりません。目的が満たされて熱意に欠けていたのかもしれません。さきの場所はそれほど幸運であったのでした。行くときにちらっと見ていた尾平鉱山廃水処理施設無断立入り禁止の道に分かれて入ってみました。すると、何とこれが尾平鉱山跡だったのでした。往きにここへ寄ってしまったらもうその先には上らなかったでしょうから、この日はどこまでもついていたのです。

 鉱山跡は印象深いものでした。まだ有害物質が流れ出ているということで、係員がこんな山奥に常駐してその処理にあたっていて、赤茶けたあたりの風景が、そうきくと毒々しげです。流れ落ちている処理水はさっき上ってくるときに休憩した渓流へ続くのですね。その渓流は巨岩を浸食して、豊かな水量の流れでした。昭和6年選鉱場完成記念と石に刻まれた廃施設から上を見上げると、山肌に坑道の入口とおぼしき巨大なコンクリートの建造物が廃墟と化していて、酸欠で危険のため立入り禁止なのだそうです。みんな悠くんが係員から聞き出してきました。それからまた許可を得て、安全なところで石を探したのですが、ここでもまた目ぼしいものは何も無かったようです。

 冬休み、悠くんは鉱物採集の旅に出るのです。北九州の著名な採石場をユースホステルを泊まり歩いて漁って来るのだそうです。

やぎそれからうさぎ

 やぎは4月3日の予定日ちょうどに雌雄各一頭を産みました。はじめ両方とも雌かと思い、グリーンハウスを作りに来ていた大工さんが子供の遊び相手にと、元気のいい方を貰って行ってくれました。すると角がはえてきたと言います。今ごろどうなってしまっているでしょうね。残った一頭はちゃんと雌になりました。親やぎといつまでも一緒にいると、ひよこなんかもそうなのですが、親以外に馴染まず、警戒心が強まり、それでいて餌だけは欲しがり、可愛くないですね。

 春は牧草、夏からはとうもろこし、冬の青物はえん麦、それから隣の大規模な畑に取り残された大根、白菜があるので餌には困らないのですが、役立たずが二頭ではちょっと多すぎますね。乳をしぼってチーズを作る計画も、親子で性格の悪いやぎは巨大な乳房にちょっと触れただけで大騒ぎするので、頓挫しています。

 小学校で増えた子うさぎを1羽もらって来て、それが大きくなったらうさぎ小屋から逃げ出し、もう捕まらないのです。庭を跳ねまわっている姿は一見のどかですが、大事なものを食い荒らしはしないか心配です。うさぎは声を出さないので、何を考えているのかさっぱり分かりません。