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あひるさんゆうびん 第4号

8.20/1994

 

あひる

 今年の稲はすばらしいできです。なかでも一番すごいのは、あひる小屋の近くに作った一畳ほどの秘密の田んぼです。

 合併浄化槽から浄化されて出てくる水は、ただ流してしまうだけではもったいないので、小さな池を作り、そこをあひる小屋にしてあります。子供たちはあひるを初めのうちは面白がっていましたが、結構くさいので、近頃はあまり寄りつきません。池にはどうしても泥がたまり、その泥すくいをするともう大変なにおいです。そこから流れ出てくる濁った水と、田植えのときに余った苗とを見ていて、小さな田んぼができあがりました。

 天気に恵まれて肥料がよく効けば何でもよく育つ、ということを今さらのように感じています。来年の種子分ぐらいは軽く採れそうです。行政が所在をつかんでいない秘密の田んぼです。

 あひるは、おととし一羽、去年二羽、ひなを買いました。うまいことに最初の一羽が雌で、とてもよく卵を生んだのです。それで翌年また買ったのですが、初めのうちは雌に見えていたのに、両方とも雄になってしまいました。あひるはとても大食らいであるし、雄二雌一という組み合わせは雌には何としても辛いようなので、雄一羽は中学校のバザ−に提供してしまいました。残ったつがいはとても仲が良く、どちらかというと雌は食欲がすぐれるので食べ物を求めて歩きまわり、そのあとを雄がついてまわる、というような関係でした。あひるは臆病で大変用心深く、人にはあまり慣れず逃げまわってばかりいるのですが、雌の方をちょっとかまうと怒った雄が無謀にも羽を広げて飛びかかって来たり、あのくちばしで噛みついて来たりするのです。あひるは、あのくちばしの端がちょっと上向いているほどには愛嬌があるわけではないようです。
 あひる小屋と池のまわりは簡単な囲いがしてあって、そこにおとなしく留まっていればよいものを、たびたびそこを抜け出して勝手に歩きまわっておりました。あひるは夜目がきくし、それに仲間が恋しくて、鶏小屋の近くに行くのが好きだったのです。ある夜騒がしくしていて、様子を見に行かなければならなかったのに、もう一度眠るのが難しくなってしまうために見に行かないでいました。そうして(雄ではなく)雌がなにものかにやられてしまったのです。なにものかは、囲いのなかには決して入って来ないのに、外の獲物にはたちまちのうちです。
 そのときたまたまあひるの卵を鶏に暖めさせていたのです。今年は6月と7月に抱卵する鶏がいたので、6月のとき一個試しに置いておいたところ、これはあともう少しのところで他の鶏につつかれて駄目になってしまったのですが(鶏の方が早くかえってしまうので無防備になりやすいのです)、7月には三個置き、暖めさせているさいちゅうの雌あひるの死であったのでした。これはもう何としてでもかえさなければ種が途絶えてしまう、というよりも、忘れがたみであるのだから、なおのことです。例によって親鶏は何羽かひよこがかえると育児の方に気を奪われている様子なので、最後の何日かは麹を作る機械に移したりして、結局元気な二羽とちょっと心配な一羽をかえすことができました。二羽はもう鶏のひよこのところに戻し、ひよこたちと張り合っております。

 残された雄はどうなったかといいますと、これはもうすっかり餌を食べる気力をなくしてしまい、餌をあげてもちょっと口をつけるだけで、すぐにほかのことをしたりしていました。鶏小屋に一緒にしてやったら、雌鶏の食欲のすごさに動かされて少しは食べるようになったようです。

イネミズゾウムシその他

 イネミズゾウムシというのは草むらで越冬し、田植えとともに田んぼに侵入して来て稲を食害し、産卵し、繁殖いたします。苗が小さいうちから活動を始めるので、食痕がよく目につき、心が痛みます。雑草なら手で取れますが、(農薬をかければすぐに死ぬのでしょうが、)このムシはどこにいるのか目にはいらないので手のほどこしようがありません。天敵はきっとクモだろうと思います。クモが強いのか、稲の雑草のようなたくましさによるのか、それとも単に季節がめぐっただけなのか、いつの間にか姿を消してしまいます。

 大陸から飛んでくるというウンカはあまり気になりません。そのころはちょうどトンボの繁殖期で、田んぼのなかを草を取って歩いていると、目に見えない虫をめがけてトンボがいつの間にか群がり寄ります。このトンボの多さは、今年はこの天気のために特に多いというのと、いや毎年こんなものだという見かたに分かれていますが、やっぱり相当多いのではないかと思います。私んとこの田んぼは特に多いだろうと思ってよその田んぼを見ると、農薬の田んぼにもそれなりに飛んでいるので、がっかりするほどのことでもないのにがっかりしてしまいます。

 この天気でアブが大発生したみたいです。アブは間抜けで、家のなかに入り込むやつはいくらでも叩き落とせてしまえるのですが、草取りのさいちゅう、汗でべったりくっついたシャツの上から平気で噛みついてくるアブは始末におえません。手や足をばたつかせ、やぎのようにからだを震わせたりします。牛を飼って何代もするとだんだん牛に似てくるそうで、馬だと馬型人間、そしてうちならばやぎ型かなどと、からだを震わせるとき思ったりします。ときどき蚊がとまって、叩く手があいていないとき、息をふっと吹きかけたりしましてね。

訃報

 板井フサエさんがお亡くなりになりました。あの戦争のあと、旧鉄道省の所有する地に何町歩ずつかの土地があてがわれ、開拓民たちは道なき道を通って、電気も水道もない辺地に入植して来たのでした。電気は、今どき電気のない集落があるなんて珍しいとNHKが取材に来たほどの後、昭和40年ごろようやく引かれ、水は、この地は柔らかい火山灰地であるため水位が低く、はるか下の谷底から何台ものポンプを使って引いたそうで、水番が各戸に割り当てられ、断水させようものなら刃物が飛び交うほどのぎりぎりの生活だったといいます。その湧水の上には今では大きな橋がかかり、ひとつの川の始まりとなっています。夫婦は原野を自らの手で切り開き、桑を植えて蚕を飼い、今は三枚に整備された田んぼもそのころは十何枚にも分かれ、そこに稲を植え、五人の子供を育てたのでした。何年か前板井田丸さんが79才で亡くなり、今年フサエさんもまた79才でした。一人残った五番目の息子が、毎朝自分で弁当をつくって出かけて行きます。かつて自分たちが切り開いた原野には、水にも電気にも苦労することのない新しい開拓民ガ家を建て、子供たちが遊びまわっております。

もうひとつの訃報(?)

 板井さんの葬儀が終わって何日かして、板井さんの畑を借りている酪農家が飼料用のとうもろこしをまく準備のために例の大型トラクタ−を使ってロ−タリ−をかけていました。この地では、つくり手のいなくなった畑は気軽に貸借されるようです。借りる方は、キャベツ、大根、ごぼう等の単作が多いので、あちこち空いている畑を次々と借りていけば連作防止にもなり、都合がよいようです。余談ですが、この辺では「畑を借りて」というようなとき「かって」と言います。「今年は板井さんかた畑かってとうきび作りよる」なんて話にはとてつもない注意が必要です。

 トラクターはロータリー作業のときゆっくりとしか進めないので、一辺が100mもあるような畑ではとても眠くなるのです。居眠りしたまま10メ−トルぐらいは平気で進んでしまうのだそうです。畑のへりのどこかに乗り上げてしまうともうこれ以上大型はないので脱出は困難になります。そこで眠気がとれるまでちょっとの間居眠りすることにしたのですが、それがエンジンをかけたままであったので、遠くから見ると、まるで車上で急死した姿に見えるのです。また葬式か、と慌てましたが、延期になりました。

 この酪農家は二十代前半に、おそらく最後の入植者として乳牛数頭を連れて熊本県側から一人で登って来ました。鉄道省の番小屋を譲り受けて住み、年少であるためまわりの人から随分恐い思いをさせられたそうです。その番小屋にすぐにお嫁さんが来、将来の後継者ができ、恐かった隣人も年とともに穏やかになり、乳牛も四十頭になり、きっと思い出深いその番小屋は、今年新居の完成とともに取り壊されました。後継者の今の年齢が、ちょうど入植した当時の自分の年齢と同じになったといいます。

 きっとこういう人たちは、たとえばトラクタ−作業中に急死できたら本望だと思っているだろうな、などと思ったりしますが、別に不謹慎でも何でもありませんよね。うちの場合ならば、ある朝ラベンダ−畑で眠るようにこと切れていたとか、田んぼの草とりの最中に泥のなかに突伏して息絶えていた、なんてことなのです。

陸稲

 陸稲のことをこの辺では野稲といいます。何の畑だろうと思ってきいて、「これはのいね」と言われて、すぐに陸稲と連想できました。

 昨年の米があのようでしたから、今年は休耕田はあまりなく(この町の主産業は農業であるのでもともと少ないのですが)、トマトへ転作するのも一年先送りにした、という感じです。なかには随分へたくそだなと思わせる田んぼもあります。肥料のまきむらのためにでこぼこになって見える田、除草剤を使っているだろうに草だらけの田、三年目の余裕からどうどうと陰口をたたいております。作付けが多いのは、米が今年は金になる、と思ってやったのではないのです。あの米パニックのとき、農家は求められてもわけてあげられる米がないことに、やるせない気持ちでいっぱいだったのだと思います。収穫後すぐに、自分のとこで使う分だけ残して供出してしまいますから、翌年になって農家によけいな保有米があるわけはありません。今年は少し多めに手もとに残しておこう、そうすれば足りなくなったときに(多少の優越感とともに)わけてあげられる、ということで、作付け面積が多くなったと思うのです。

 陸稲はたいてい糯米です。畑で粳米を作ろうとは思わない人も、自分とこで使うもちは自分とこの米で、と思いますものね。その五畆ぐらいの陸稲畑のおばあさんも、子供たちが帰って来たときにあげるのだ、と言って手入れをしておりました。これだけ作ると二年分ぐらいはある、もうこれで野稲を作るのも最後だ、とか何とか言って。

 何かを手がけるとき、これが最後になるかもしれない、と思うことが年をとったことを裏付けるのなら、私たちはまだその域に達していません。過去の話がじょうずになるのがお年寄りであるなら、私たちは来年の田んぼのことを、田植えが終わったときから話しております。話は全然違いますが、米の手持ち不足を補うためタイ米を食べてみたところ、とてもおいしくて、家の者みんなタイ米ファンになってしまいました。

 水稲は灌漑用水が通じているので、少しぐらい雨が降らなくてもなんてことはありません。水が豊かで日照時間が多ければ、稲にとっては最高の環境です。植えむら、欠株なんのその、条間が見えないくらいびっしり繁茂しています。しかし陸稲はこの天気で葉がすっかりよれて丸まってしまい、実をつけるかどうか。陸稲と言えども登熟期には水が必要なのだそうです。今年の干ばつで陸稲があまりよく取れず、そうして水稲糯が豊富に出まわったら、あのおばあさんは、来年はどうするでしょうね。

そのほかの夏野菜、花、その他

 干ばつも何のその、トマト、ピーマン、きゅうり、なす、みんなどれもよくできました。大豆(たんぼの休耕地にまいたのでとてもたくさん)、小豆(畑にほどほどに)、黒豆(ほどほどに)、落花生(少し)もよく茂っています。そばが背丈ほどにも高くなり、やぎや鶏のための(それと歯の丈夫な子供たちのための)飼料用とうもろこしもこの暑さがちょうどよいようです。スイートコーンは次々と狸に食べられてしまいました。(君は平成狸物語を見たか) スコットランドでは人が食べイングランドでは馬にやるという燕麦もまいてみました。夏にまいて、年内には収穫できるのだそうです。よく茂った作物のあいだをベル(犬)を連れて散歩するのは、とても幸福です。しかし今では繁茂しすぎて、とうもろこしもそばも豆も、あいだには入れなくなってしまいました。

 乾燥に弱いブルーベリーは、せっかく三年かけてなんとか大きくなってきたのに、そうとうだめにしてしまいました。果樹は、下にまいたのが一年性の牧草であったため、牧草が枯れたあとしぶとい夏草がはえてきてしまっています。種になる前になんとか刈ってしまわなければなりません。しかしプルーン、りんご、あんず、洋梨、渋柿、どれもこの一年でよく成長いたしました。

 ラベンダーは乾燥を好むので、一年目からたくさんの花をつけました。株も大きくなったようです。野菜をあげたりもらったり、というのは珍しくなくても、この花は喜んでもらえたようです。来年からは出荷を目指さねばなりません。送れなかった貴女諸兄にも、来年がまたこのような天気であったならきっとお送りいたします。と言いますのも、何か作物をつくるとき、米でも豆でもトマトでも、燕麦でもそうなのですが、貴女諸兄の顔を思い浮かべて作っているのですから。農協へ米を出荷するするのでは見えない人を相手に作ることになり、それでは楽しくも何ともありませんものね。